【プロレス観戦記:DRAGONGATE】2025.7.13 兵庫・神戸ワールド記念ホールを観戦しました
今年もDRAGONGATEにとって年間最大のビッグマッチとなる神戸ワールド記念ホール「KOBEプロレスフェスティバル 2025」の観戦に行って参りました。
もう何年も観戦を続いている毎年の恒例行事なので「ワクワク感」より「生活習慣」に近い感覚です。
DRAGONGATEのプロレスラーや団体の皆様はもちろん、この日のために1年間の集大成として鍛錬をされていると思うのですが、私たちファンも彼らと同じくらい年に1回のこのイベントを楽しみにしています。

どこのプロレス団体も概ねでそうなのですが、年に1回か2回は「KOBEプロレスフェスティバル 2025」のような大規模な会場でビッグイベントを開催します。
そして、そのビッグイベントに向けて選手も団体もコンディションやストーリーを組み上げていく・・・というのがプロレス興業の基本的な構造だと思います。
そして、そのビッグイベントが閉幕しれば、新しい章(ストーリー)が始まるのです。
ビッグイベントがストーリーとして成功(この場合は集客は度外視)するかどうかはビッグイベントに辿り着くまでの前哨戦が大きな意味を持つのですが、「KOBEプロレスフェスティバル 2025」に辿り着くまでのDRAGONGATEの前哨戦は少しいつもと違った物々しさがありました。
その最たる理由は、シュン・スカイウォーカー選手がYAMATO選手の持つ王座ベルト「オープン・ザ・ドリームゲート」への挑戦にあたり、自身の進退を賭けたからでしょう。
「負けたら引退」や「負けたら退団」のような試合はたまにプロレスではある話なので、驚くべきことでは無いのですが、シュン・スカイウォーカー選手の団体に対する立ち位置やスタイルを考慮すると、「それはあり得ない未来ではない」と多くのファンを不安にさせたに違いありません。
それは前哨戦のストーリーとして見事な役割を果たしました。
シュン・スカイウォーカー選手はプロレスラーとしても本当に能力の高い選手ではありますが、この自己演出能力も彼の魅力です。
「KOBEプロレスフェスティバル 2024」が終わってからの1年間のDRAGONGATEの影の主役は彼だったような気がします。「KOBEプロレスフェスティバル 2025」の結果はどうであれメインイベントに相応しいレスラーなのは間違いありません。

YAMATO選手とシュン・スカイウォーカー選手のタイトルマッチのことに触れる前に何試合か興味深い試合があったので、まずはそれを紹介させてください。
まずは第4試合のストロングマシーン・J選手と菊田円選手のノーDQマッチです。ノーDQマッチとは反則なしの何でもありの試合という意味なのですが、その名の通りでリング上ではルール無用の残忍な試合が行われました。
近年の「KOBEプロレスフェスティバル」はどちらかと言えば、友好的でほのぼのとした試合が多かった気がするので、ストロングマシーン・J選手と菊田円選手の試合は、見ていたファンを良い意味で「冷やす」には十分でした(笑)
良い意味でも悪い意味でも見応えのある試合だったのですが、この試合を制したのは菊田円選手の「狂気」でした。
そして菊田円選手の「狂気」がこの日の1日の 伏線になっていたことを私たちは後で知ることになるのです。
第5試合はU-T選手と田中良弥選手のオープン・ザ・ブレイブゲート選手権試合でした。プロレスリングとしてはこの試合が「KOBEプロレスフェスティバル 2025」の中では最も満足度が高い試合ではなかったのではないでしょうか?(笑)
試合を通じて、お互いの魅力が十分に引き出されていた気がします。そして、田中良弥選手の良さの方がU-T選手のそれを少しだけ上回ったのでしょう。
田中良弥選手はとても良い選手ですね。これからもっと凄い選手になるのは間違いありません。
若くして、プロレスラーとしての能力もスター性もマイクも十分に成熟している・・・と言いたかったのですが、数分後には彼の活躍の印象が薄れてしまう事態が発生することになります。
それは第6試合に起こりました。神戸ワールド記念ホールに「LOVE & ENERGY」のテーマ曲が流れ、新日本プロレス所属で来年1月に引退を表明している棚橋弘至選手がDRAGONGATEのリングに上がったのです。
田中良弥選手も素晴らしい選手なのですが、棚橋弘至選手のようなプロレスラーとしての能力もスター性もマイクも完全な本物の「スター」を前にしては彼の輝きも印象も一気に薄れてしまいました(笑)
プロレスの歴史教科書というものがもし存在するのであれば、まるまる1章、恐らく15ページくらいは棚橋弘至選手の歴史に費やされると思います。プロレスを知らない人でも棚橋弘至の名前は聞いたことがあるはずです。それほど偉大な選手がDRAGONGATEのリングに上がっているのは何だか不思議な気もします。

そして、その棚橋弘至選手と同じリングに上がり、対角で同等に近い輝きを放ったのが吉岡勇紀選手でした。
私は「KOBEプロレスフェスティバル 2022」の観戦記で「吉岡勇紀選手は凄い選手になる」と明言したのですが、そこから3年間の彼の成長曲線は誰もが期待するようなものではありませんでした。
負傷の影響で十分な出場機会を得られず、不遇の時間が続いたと思います。
いくつかのチャンスもありましたが、それを浮上のきっかけにするには不十分でした。
それが、この日に岐阜県の同郷である棚橋弘至選手との対戦が実現したのです。
吉岡勇紀選手にとってこれ以上の絶好のチャンスはあるはずもありません。
さらに、あろうことか試合後に棚橋弘至選手の必殺技である「ハイフライフロー」を吉岡勇紀選手が継承する、という予想外の事件が起こりました。
「ハイフライフロー」とは棚橋弘至選手はが考案したプロレスの飛び技のひとつ。その危険度の高さから彼のプロレスラー人生を縮めた、と言われる大技です。
それは極端に言えば日本の「宝」のようなもので、それをDRAGONGATEのレスラーである吉岡勇紀選手が継承することは、後漢の光武帝が卑弥呼に国印を贈る、くらいの歴史的事件でした。
棚橋弘至選手は最後に吉岡勇紀選手に言いました。
「吉岡、ドラゴンゲートのエースになれよ!」
これは「KOBEプロレスフェスティバル 2025」で最も象徴的なシーンだったと思います。
吉岡勇紀選手も会場にいたDRAGONGATEのファンも棚橋弘至選手の言葉を重く受け止めました。吉岡勇紀選手はDRAGONGATEという団体を背負っていくだけの能力も資質もあるはずです。
そして、この日に彼はその「責任」も背負ったのです。
きっと来年の夏頃にその答え合わせが出来るでしょう。今から吉岡勇紀選手の活躍を楽しみにしています。
今思えば、この試合で「KOBEプロレスフェスティバル 2025」を閉幕したとしても、ストーリーとしても興業としても十分に完結していたと思います(笑)

しかし、この日に「KOBEプロレスフェスティバル 2025」に訪れたファンの多くは、YAMATO選手とシュン・スカイウォーカー選手の「オープン・ザ・ドリームゲート」選手権を見に来たのです。
もしかすると、シュン・スカイウォーカー選手がDRAGONGATEのリングに上がる最後の日になるかもしれない、という冷ややかな緊張感が会場に漂います。
試合は前哨戦の不穏さからは想像がつかないほど、公正で互いに死力を尽くした試合だったと思います。
少し贔屓目があるかもしれませんが、この日のシュン・スカイウォーカー選手は今まで見た中ではベストだったように見えました。
DRAGONGATEのプロレスラーの中では彼以上の能力がある選手はいないと思います。タイトルにも恵まれ、人気もありDRAGONGATEの中で重要な役割を果たすことが多い選手なのですが、その潜在能力を全て出し切った試合はあまり多くなく、「ベストバウト」と呼べる試合は過去に思いつかないのが正直なところです。もちろん、その理由は彼の試合は「どの試合も強いし面白い、そしてセコンドである「Z-Brats」が介入しがち」だからなのですが。
彼がこの試合に退団を賭けたのも彼の潜在能力がDRAGONGATEという団体の器を上回っているという不満の表明にも聞こえていました。DRAGONGATEという団体がシュン・スカイウォーカー選手にとって少し窮屈になり始めている。だから、シュン・スカイウォーカー選手が他団体に移籍したら、もっと活躍しそうだと想像を膨らませることもありました。
しかし、YAMATO選手はシュン・スカイウォーカー選手の潜在能力の全てをぶつけるのに十分な対戦相手だったと思います。
そして、シュン・スカイウォーカー選手の潜在能力と強さがYAMATO選手の経験と器を少しだけ上回った試合だったと思います。
YAMATO選手は敗れはしましたが、この1年間でベルトと団体を守り切った功績は私たちの記憶に確かに刻まれました。
負けた選手が実質的な勝者より賞賛を得ることはプロレスにはよくあることです。
会場でも試合後にYAMATOコールが聞こえていました。
そして皮肉にも試合後に十分な賞賛を得ることができなかったのはこの試合の勝者のシュン・スカイウォーカー選手の方でした。
厳密にいうと、会場にいたファンはシュン・スカイウォーカー選手を讃えていました。彼がDRAGONGATEを退団しない、ということの安堵感と試合結果に対する興奮が入り混じっていました。
シュン・スカイウォーカー選手が試合後のリングで少しのマイクパフォーマンスをした後にそれは起こりました。
菊田円選手がリングに乱入して、シュン・スカイウォーカー選手を殴り倒してしまったのです。
突然の事態に困惑する会場。帰り支度をしていた隣のおばさまたちは事態を把握できずに、呆然としていました(笑)
横たわるシュン・スカイウォーカー選手を相手にマイクパフォーマンスをする菊田円選手。
「KOBEプロレスフェスティバル 2025」の閉幕を待たずして、「KOBEプロレスフェスティバル 2026」に向けたストーリーが開幕したのです。
YAMATO選手の時代が終わって、シュン・スカイウォーカー選手の時代が始まる、という会場の余韻は試合が終わって10分足らずでぶち壊されました(笑)
「KOBEプロレスフェスティバル 2025」が終わって、会場を足速に跡にしたファンのほとんどは、少し不完全燃焼な感想を抱いていました(笑)
菊田円選手に対して否定的なファンの声も散見されましたが、私は不思議な「ワクワク感」を感じました。
適切な方法ではありませんが、菊田円選手はこの日に、ワンランク上の選手に進化したのだと思います(笑) 近頃は遠征先の全日本プロレスで見せていた活躍が証明しているように、菊田円選手にはDRAGONGATEで主役を張るだけの資質と能力はあったと思います。しかしながら、あまり「人気」があるレスラーではなかったかもしれません(笑)
彼は「人気」と引き換えに「狂気」という新しい武器を手に入れました。
シュン・スカイウォーカー選手はきっと次は菊田円選手と戦うでしょう。菊田円選手の「狂気」はシュン・スカイウォーカー選手の潜在能力と強さを受け止めるには十分な器だと思いますし、菊田円選手の所属するヒールユニット「Z-Brats」はシュン・スカイウォーカー選手に対して容赦のない介入で試合を壊しにかかるでしょう。しかし、それはシュン・スカイウォーカー選手が今まで他の選手に対してやってきた事なのです(笑)
そしてこの抗争がひと段落したら、「オープン・ザ・ドリームゲート」の戦線に戻ってくるであるだろうが、Ben-K選手・ストロングマシーンJ選手・・・そして吉岡勇紀選手。
この団体にはストーリーの主役になれる資質と能力のある選手たちが沢山いるんです。
そして、もう「KOBEプロレスフェスティバル 2026」に向けたストーリーが動き始めているのです。
1年後のプロレスフェスティバルが今から待ちきれません。

