【サッカー観戦記:プレミアリーグ】2026.5.25 22年間の苦痛からの解放
まだ私が若く世間知らずな無知な青年だった頃、当時に住んでいた大阪の一人暮らしの狭いアパートの部屋にインターネット回線の営業の男性が訪れてきた。
彼は巧みな営業トークで、無知な私にインターネット回線の契約を結ばせることに成功する。
さらに、その強欲な営業マンは私に「J Sports」と言う当時はあまり有名ではない有料放送を一緒に契約させた。
無駄な出費にも思えたが、その契約が私の人生を大きく変えることになる。
令和になった今の時代では考えられないのだが、その時代の「J Sports」は月数千円でサイクルロードレースもラグビーもWWEも試聴することが出来た。
そして、海外サッカーもその試聴契約の範囲内だった。
当時の日本の市場から見た海外サッカーはイタリアのセリエAやスペインのラ・リーガが主流で、イングランドのプレミアリーグはサッカー通が好んで見る少し風変わりなリーグでもあった。
セリエAやラ・リーガと比べると、当時のイングランドのプレミアリーグはスタジアムも陰鬱で、ファンも粗暴、選手も無骨で少し華やかさに欠けていたが、一人暮らしの狭いアパートで見るには丁度いいコンテンツで、私は夜間大学から疲労困憊で帰宅した深夜にダラダラと「J Sports」でサッカー観戦をするのが、趣味になっていった。
現代のサッカーはどのチームにも優秀な監督がいて、戦術があって、特徴があって、知性を感じるチームが多いが、当時のプレミアリーグはほとんどのチームが「キック&ラッシュ」と言うボールを蹴って走るだけの退屈な戦術を採用していた。
監督も選手も芸がなかった。
その退屈さが当時の疲れきった私には心地よかったのだが、プレミアリーグのチームの中に1チームだけ、毛色の違うチームがいた。
それが「アーセナルFC」だった。
北ロンドンを本拠地に置くクラブで、当時は長い低迷期を終えて、チームが急速に強くなって、イングランドでは常に上位争いをするチームに成長していた。
当時に「アーセナルFC」を指揮していたのはアーセン・ベンゲルで、かつては名古屋グランパスの監督もしていた人物で、私は何となく「アーセナルFC」を贔屓するようになっていった。
当時はそれほど、サッカーが詳しい訳でもなかったが、「アーセナルFC」のプレースタイルは他のチームとは異なった。
「キック&ラッシュ」ではなく、多くの選手が攻撃に関与してボールを保持しながらゴールに進み、相手のスペースを突く戦術を採用していた。
選手の技術が高く、そして若く速く、華があった。
私が「J Sports」でフルシーズンでサッカーを見始めた最初の年のプレミアリーグを「アーセナルFC」は優勝した。
キャプテンのパトリック・ヴィエラがプレミアリーグのトロフィーを天に掲げた瞬間はかなりの高揚を覚えた。
それは2004年の5月のことだった。
彼らはそのシーズンを1度も敗戦を機することなく無敗で終えた。
彼らのことを人々は敬意を持って「インヴィンシブルズ(The Invincibles、無敵の者達)」と呼んでいた。
次のシーズンも、もちろん私はプレミアリーグと「アーセナルFC」の試合を楽しみに試聴を続けた。
前年では無敗だった「アーセナルFC」も何回かの敗戦を機して、その年は優勝を逃すことになる。
どの競技も連続して優勝するのは容易ではない。
また次の年に期待しよう。
そして、次のシーズン。次のシーズン。次のシーズン。と私は「アーセナルFC」の試合を見続けた。
いつしか「アーセナルFC」以外のプレミアリーグのチームの試合は試聴しなくなっていた。
気がついた時には私は「アーセナルFC」を贔屓のチームとして試聴するのではなく「ファン」として応援し始めていたのである。
しかし、「アーセナルFC」はシーズンを重ねるごとに優勝から遠ざかっていった。
やがて、パトリック・ヴィエラがチームを去り、デニス・ベルカンプが引退して、ティエリ・アンリもチームを去った。
「アーセナルFC」を指揮するアーセン・ベンゲル監督はチームを去っていったベテランや主力選手の代わりに、セスク・ファブレガス、ロビン・ファン・ペルシ、セオ・ウォルコット・・・など、若く有望な選手たちを獲得し、彼らを育てて数年後にプレミアリーグのトロフィーを奪還する中期的計画を立てた。
「アーセナルFC」は無敗優勝を達成した「インヴィンシブルズ」と言うフェーズを完全に終えて、「ヤングガナーズ」という新たなフェーズに突入した。
攻撃的で人もボールも動く美しいサッカー、に彼らは拘ったが「アーセナルFC」はそのフェーズでもプレミアリーグのトロフィーを獲得することはなく、クラブを見切ったセスク・ファブレガスもロビン・ファン・ペルシも数年後に「アーセナルFC」を去ることになる。
そして、それからさらに数年後にアーセン・ベンゲル監督も「アーセナルFC」を去ることになる。
それは、2018年のことだった。
2003年から追いかけ始めた「アーセナルFC」のプレミアリーグ優勝を、私はまだ1回しか目にしたことがなかった。
アーセン・ベンゲルが去った「アーセナルFC」はその後の数年間は深い「混沌」を抜け出せずにいた。
「インヴィンシブルズ」の見る影はなく、2試合に1回しか勝利を収めることが出来ないくらいに彼らは「弱く」なっていた。
もう「アーセナルFC」がプレミアリーグを優勝することはないかもしれない、と誰もが疑い始めたタイミングで、「アーセナルFC」は新たな監督と契約する。
それがミケル・アルテタだった。2019 年のことある。
最初の数年はひどく弱かったが、数年を経過すると「アーセナルFC」は調子を取り戻し、プレミアリーグの上位に順位を上げ始めることになる。
若き頃のアーセン・ベンゲルがそうしてように、ミケル・アルテタも「アーセナルFC」に規律と勝利への文化をチームに植え付け始めた。
2022-2023シーズンには「アーセナルFC」はプレミアリーグの順位を2位まで戻した。
彼らはやっとプレミアリーグの優勝を競うレベルまで帰ってきたのだ。
2023-2024シーズンも「アーセナルFC」はプレミアリーグの順位を2位で終えた。
そして、2024-2025シーズンも「アーセナルFC」はプレミアリーグの順位をまたしても2位で終えた。
3シーズン連続での2位。
本当に手が届きそうで届かない、プレミアリーグの優勝。
そして、はじまった2025-2026シーズンに「アーセナルFC」はプレミアリーグを制覇する。
私たちは恐らく、今シーズンの「アーセナルFC」の試合の全てを試聴した。
全38試合が苦難の連続だった。
欧州の試合は日本時間の深夜のキックオフがほとんどなので、試合が終わって眠るのは朝方。身体も精神も消耗しているはずなのに、布団に入ってから何故か緊張して眠れない週末が1年間、続いた。
「アーセナルFC」が既に私たちの生活の一部になっていた。
シーズン最後の試合を終えて、優勝セレモニーでキャプテンのマルティン・ウーデゴールがプレミアリーグのトロフィーを天に掲げる。
それは、「アーセナルFC」にのために、22年ぶりの天に掲げられたトロフィーだった。
涙はでなかったが、日本時間で深夜3時30分に訪れた多幸感。
サッカー中継が終わって布団に入ると、心地よい眠気が私を襲う。
22年間の苦痛からの解放された瞬間だった。
私たちはイングランドから遠く離れた場所で、週に1回で試合を見ているただの「ファン」なので、「アーセナルFC」が勝っても負けても、どこか冷めた感情もある。
しかし、毎週でスタジアムで「アーセナルFC」を応援している現地のサポーターやスタッフ、そして何よりこのクラブのためにプレーしてきてくれた選手のことを思うと、この優勝がどんなに「救い」になったか想像もできない。
ジャック・ウィルシャー、アーロン・ラムジー、トマーシュ・ロシツキー、サンティ・カソルラ、ローラン・コシールニー、メスト・エジル、アレクシス・サンチェス、ペトル・チェフ、ピエール=エメリク・オーバメヤン、ベルント・レノ、エミール・スミス=ロウ、トーマス・パルティに、そしてグラニト・ジャカ。数え上げたらキリが無いくらい多くの選手が、このクラブに貢献してくれた。
「アーセナルFC」のためにプレーしてくれた全ての選手に感謝したい。
彼らはタイトルを逃すたびにメディアから酷い非難に慣らされて、「失敗のシーズンだった」と罵られてきたけれど、そのシーズンは優勝できなかっただけで「失敗のシーズン」なんて過去に1度もなかったと私は思う。
本当に少しずつだけど、チームは前に進んでいたし、その積み重ねでやっと、2025-2026シーズンに「アーセナルFC」はプレミアリーグ制覇にたどり着いた。
彼ら全員に敬意を払いたいし、22年間も「アーセナルFC」の試合を見続けた自分も褒めてあげたい(笑)
もちろん、22年前に私が暮らしていた狭いアパートの部屋に訪れて、インターネット回線を押売した営業マンにも感謝している(笑)
あの時に契約した「J Sports」のおかげで私はサイクルロードレースもラグビーもWWEもずっと好きなまま、あの時から22個も年齢を重ねたし、今も形を変えて「J Sports」は契約を継続している。
全てが無駄では無かった。
「アーセナルFC」の優勝を見届けた後に、22年間で溜め込んだ屈折した感動をこの駄文に残しておこうと思った。
この続きはまた22年後に。
