1. HOME
  2. ブログ
  3. 【神戸国際会館】SIGUR RÓS WORLD TOUR 2025に行ってきました

【神戸国際会館】SIGUR RÓS WORLD TOUR 2025に行ってきました

先日の2025年2月19日、私たちはお店をお休みいただいて、久しぶりに音楽ライブ鑑賞に行ってきました。

今はそれほど熱心ではありませんが、私は20歳前半の頃から音楽鑑賞を趣味の1つにしていて、当時は毎週水曜日に何かしらの新譜が発売されることが多く、大学通学の途中でHMV三宮店(昔はEITビル B1階にあった)に行くことが毎週の楽しみになっていました。
当時は配信やサブスクリプションなどはまだ無く、購入したCDをパソコンからiTuneに取り込んで、iPodに同期して視聴していた記憶があります。
色々なジャンルの音楽をiTuneには取り込んでいたのですが、特にその中でも気に入っていたのが、「Post Rock」というジャンルの音楽でした。
この「Post Rock」というジャンル、日本の音楽シーンでは過去にも現在でも一度も流行したことはないので、多くの人には馴染みのないジャンルなのでしょう。
私も大学に通っているときは「Post Rock」を聴いている友人は少なく、肩身は狭かった記憶があります。
私が通っていたHMVでも「Post Rock」の棚は、アイドルやJ-POPの棚と比べると1/10にも満たない棚に押しやられていました。
最近はCDを買いにショップに行ったりすることはないので、2025年現在でどうなっているかは知りませんが、「Post Rock」の棚に人が集まっていることは今でも決してないでしょう。
もしかしたら、「Post Rock」の棚はもう無くなっているかもしれません。

その誰も見向きもしない本当に埃がかかったような陰気な棚に入った「Post Rock」のアルバムを私は25年以上も聴き続けているのですから、何とも数奇な人生です。
そして、そのHMVの店舗の最も隅っこに追いやられていた棚の中から私が見つけ出したのが、先日にライブに行ったSIGUR RÓSのアルバムでした。

当時にSIGUR RÓSのことを知っている人は音楽通の間でも本当にごく僅かでした。小国アイスランドの若者4人組のバンドで、レーベルも大手ではなく、私が彼らのことを知るまでの間に彼らは2枚のアルバム『Von』『Ágætis byrjun』をリリースしていましたが、その2枚が世界的に評価されるのはもう少し後世になってからで、当時は誰も話題にしていなかったと思います。

初めて彼らの音楽を聴いたとき、「難解ではあるが、美しい音色」くらいの印象でしかなかったのですが、2枚のアルバムを何度も聴き込んでいくと、彼らの世界観や思想が音を通じて、小説のように私の中に染み入っていくような気がしたのです。
1枚のアルバムから音楽以上の世界観やメッセージを受け取ったのは若かりし私にとって、初めての経験でした。

そして、運よく彼らのライブに初めて訪れたのは2006年4月3日のこと。会場はなんばHatchでした。チケットは容易に入手できました。人も多くなく、会場も比較的で空いていた記憶があります。

そして、その時に見たライブは私が今までの人生で見た音楽ライブの中で「最高」のものでした。
恥ずかしながら、私はその時に初めて「見るべきほどのことは見つ」のだと思います。それ以前に私が見たものは、ほとんどが「偽物」に近かった気がします。
ライブ会場を出た後、私はどうやって家路に辿り着いたのかさえ、わからないほどの衝撃と浮遊感を受けたのを覚えています。
なんばHatchに入場した後と退場した後では、世界の見え方が変わったような気がします。

それから、彼らが新しい楽曲やアルバムを発表すれば、必ずチェックしました。
そして日本ツアーがある際は可能な限りで、訪れるようにしています。
恐ろしいことに、私は25年間も緩やかに陰気な「推し活動」を続けているのです。

そして、もっと恐ろしいことはSIGUR RÓSが30年近くも活動を続けていることです。
その間に発表したオリジナルアルバムは僅かに8枚。その中の何枚かのアルバムは多くの視聴者に届きました。もちろん、彼らは30年を経て多少なりは知名度も上がり、少しは有名になったとは思います。
しかし、彼らは今もアイスランドの片隅で決して大きくないレーベルの下で黙々と音楽を作り続けているのです。
そして、ずっと同じ世界観や思想を音に乗せているのです。

そして2025年2月19日。SIGUR RÓSが神戸に来る、となると行かない理由はありません。
彼らが発表した10年ぶりのオリジナルアルバム『Átta』も十分なほどに聴き込んで、神戸国際会館に向かいました。

会場はほぼ満席だったように見えました。若い観客もちらほらと居ましたが、その多くが私と同世代くらいの方が多く居たような気がします。私以外にもSIGUR RÓSのことを長年、追いかけてきた人がいるのかと思うと少し嬉しかったのです。何となく服装も見た目も体型も私と似た人が多かった気がします(笑) 私もそうですが彼らもSIGUR RÓSの世界観や思想に少なからず影響を受けた人生だったに違いありません(笑)

今回のWORLD TOURはバンド形式ではなく、オーケストラ形式という新しい試みでした。
ライブは前半と後半の2幕が用意されていて、それはもうライブというより1つの物語に近いものでした。

Set 1
Blóðberg
Ekki múkk
Fljótavík
8
Von
Andvari
Starálfur
Dauðalogn
Varðeldur

Set 2
Untitled #1 – Vaka
Untitled #3 – Samskeyti
Ylur
Skel
All Alright
Untitled #5 – Álafoss
Sé lest
Hoppípolla
Avalon

彼らはMCで何かを話す訳でもなく、彼らの奏でる音楽だけでライブは構成されます。
私たちも全神経を集中して音に聴き入れます。
観客も行儀が良い方がほとんどなので、ライブ中にヒソヒソ話をする人や携帯片手に動画を撮る人などは、あまり居なかった気がします。
演者に対してワー、キャー、と歓声(奇声)をあげる人もいません。私たちは音を聴き入れるというより、その「音圧」を感じとっていたのかもしれません。

音楽だけに集中できる環境は「演者」だけでなく「聴衆」も一緒に作っていくものです。
不躾な「聴衆」が会場にほとんどいないことを私は少しだけ安堵したし、それも含めてSIGUR RÓSをずっと聴き続けてきて良かったと誇らしく思いました。

彼らのライブは2006年になんばHatchで見た時のような「勢い」はありませんでしたが、20年分の「成熟」「進歩」を目の当たりにしました。
彼らはデビュー当時に発表した2枚のアルバム『Von』『Ágætis byrjun』に収録された楽曲も演奏しました。それは驚くべきことに、実に30年近く前の楽曲です。
よくテレビで見るような30年近く前(平成)の楽曲はもうすでに「聴衆」やメディアに消費され尽くしており「懐かしい」という感情以外は湧かず、現代で演奏されてもなぜか恥ずかしい気持ちになりそうなのですが、SIGUR RÓSの楽曲はそれとは違います。
現代で耳にしても「格好良い」のです。恐らく、やっと私たちの感性が彼らの30年前に「追いついた」のです。そして2025年に彼らが演奏した30年近く前にリリースされた楽曲はさらに彼らの中で「進化」していました。

彼らは最後の楽曲を演奏し終えると、「Takk…(ありがとう)」と一言だけ添えて、ライブを終えた。
アンコールはなし。本当に濃密な3時間で私たちも少しの疲労感を感じたほどです。

私たちは「見るべきほどのことは見つ」のだと思います。
私が初めて彼らのライブを見たのが2006年のこと。
それから20年が過ぎたが、彼らのその姿は変わる事なく褪せず倦まず汚れず、そこに在り続けたのだと思います。

そして、もし可能なら25年前の私に伝えたい。
あの時、誰も見向きもしなかったHMVの店舗の最も隅っこに追いやられていた棚の中からSIGUR RÓSを選んでくれて、ありがとう。
今は誰にも理解されないと思うけど、何年後かに、それが自分にとって重要な選択だったことに気づくと思う。
今も正にそうなのですが、これからの人生で何度も君のポケットの中に入ったi-Pod(今はi-Phone)からSIGUR RÓSを再生することで、通学・通勤、その他にも色々な場面で心が穏やかになるし、勇気づけられることになる
・・・と。

25年以上もずっと継続して飽きずに好きでいられたものなんて、自分の人生ではSIGUR RÓS阪神タイガースしか残っていませんから(笑)
これからも可能な限りで、SIGUR RÓS阪神タイガースも追い続けたいと改めて思った一夜になりました。

しかし、もし25年前の私に「阪神タイガースがこれから25年間のペナントレースで優勝する回数は3回だけしかないよ」と伝えたら、きっと彼は潔くファンをやめると思います(笑)